性的欲求と対人的欲求
性的欲求は人間の3大欲求がある限り存在する。
性欲が強い人間は、異性に対しての反応が無い人間に比べて過敏になる、それを異常とするものがいるが、太ってる人が飯を沢山食べるのと至って変わらない事だ。
ジャイアンが大量に飯を食っても、食べた傍からお腹空いたと言っても驚かないだろう。何故か太っていてよく食べる事が見て分かるからだ。
要は人間は物事の認識を先ずは視覚から入るのだ。
性的欲求はパッと見て分からないだろう、男性の場合は勃起した状態でそれを露出していれば取り分け一発で分かるが、それが分かると認識する前に社会的な厳罰を受けるのが関の山だ。女性に至ってはよっぽどでない限り分からないだろう。
人間は、目に見えないその人物の部位箇所を自分の都合で創造する。
現代の社会でコロナが蔓延してから、マスクの着用が当たり前になり初見で会った人間の見た目を良く見える現象を誰しもが経験しただろう、しかしマスクを外して絶望する事も時にあったと思う。これは上記の現象が招いた結果だ。
性的な分野においては、その人のイメージ、外見、性格から勝手なイメージを空想で作り出す。その為その人の性的価値観を知りそれが自分のイメージと違った時驚いたり幻滅したり、時に良いという判定に切り替わる。
それが性的価値観の相違だ。
ところで、性的欲求が強い人が人肌が恋しくなったりするだろう、彼女がいない人は彼女を欲し、彼氏がいない人も同様になる傾向はある。
さて、性的欲求と対人的欲求は誰しも同義なんだろうか。
これは私の価値観だが、私は性的欲求は比較的強いだろう、一日に数回は自身での行為に走る。しかし異性に対し性的事を求める事は無い。面倒、怠い、嫌いという感情が先に来る。それでも対人を人肌を求める。
多分だが、そのような人は大なり小なりいるのではないだろうか。
人を愛する事と性的欲求のバランスは極めて難しいだろう。