x2022personalityのブログ

人の欲と不満

歴史捉え方

歴史とは何かしらの事物が時間的に変遷したありさ、あるいはそれに関する文章や記録のことをいう。 参照wiki

 

歴史と聞いて普通に想像するのは遥か昔の出来事、自分が生まれる前の事や数世紀前の事だろう、しかし歴史の捉え方は様々だ

 

有名な人物は歴史に名を刻む、しかしそれはその人が成した事がとりわけ称賛に値する又は忘れてはならない負の記録であるが故にそのような歴史が刻まれる

 

では、何の変化もない一人の人間には歴史は無いのだろうか?

答えはNOだと言わざるをえない、少なくともその人が生きた歴史が存在しないならもはやその人が生きた証すらもありえない

では何かをしないと歴史にはならないのか?

普通に生まれ、(ここでの普通とは一般常識的範疇を指す)普通に育ち、学び、職に就き、家庭を持ち、生涯を終える。この人生において上記の質問をYESと答えるなら、この生き方をする人間は生きた証すら残らない。

 

過去の古い歴史を顧みた際に、根拠が全ての歴史に刻まれてはいない。

それを正と見るかは、その歴史を信じるかどうかだ、これについては様々な解釈や捉え方が存在する、例えば一つの歴史を拝見した際に、それに明確な根拠と証明が書面や物的な物で存在しない限りそれが正しい事で信じるに値するとは言い切れないだろう

 

人類が誕生してから20万年が経つ現在において、すべての歴史が正確な記録がされる事はない、その全てを一部の書面だけを又は伝承においてのみ信じるのは極めて無理がある

 

では、現在生きている人間が過去にした事を聞いた際にそれは信じないという事になるだろうか?

答えはNOだろう、一部の噓つきは除き・・・・

何故なら、目の前にいる人がそれを経験し自分が想像できる語りで教えてくれるからだ

 

この違いは何なのだろうか?

目に見えるものが確信的に信用できる事を指すだろう

 

人間は自分の今目の前で起きている事を、語られる事が一番率直に理解でき習得ができるその特性は良し悪しだ

 

これを考えた際に自分類が残したすべての歴史は全てが本当なのだろう、経緯こそ間違っている事は多々あるかもしれないが、その一つ一つの歴史を書き記した者が見、聞き記したのだろう、そしてその人はそれを信じたから歴史になったのだ

 

歴史とはある意味でそれを記録したごく一部の記録なのだ

セックスの考え方

私はセックスが嫌いだ

 

しかし最近その考えがそもそも間違っている事を感じている

 

セックスはコミュニケーションの一つなのだ、快楽では無い。

確かに、セックスのゴールと言われる着地地点では快感を味わうかもしれないが、それはある種結果論でしか無い。

 

セックスに上手い下手は無いというと、少し語弊があるかもしれない、確かに相手を気持ちよくさせる事ができないはある種下手なのかもしれない、しかしそもそも男性と女性は気持ちいいというタイミングや通過点は若干のズレがある。

その中で、完璧な相性で確立できるセックスは稀だろう。

 

論点に戻ると、セックスはコミュニケーションと述べたのは例えば気持ちが良いならそれでいい、しかしそれを表現しない事には相手にも伝わらない。

セックスが気持ちよく無いなら、それを相手に伝えなければいけない。

セックスをする環境は極めて特殊だ、雰囲気、本来見る事が無い全裸、興奮状態の双方がのんびり冒頭から話す事は無いだろ、だからこそ逆にコミュニティが疎かになりがちなのだ。

 

相手を気持ちよくしようとする考えは重要だ、それと同時に自分が感じている感覚、気持ちをしっかり相手に伝えようとする事が、セックスの本質になるだろう

男女の関係について

男女の関係

よく、男女の友情は成立しますか?等という質問があったりするがそもそも何故そんな質問が生まれるのか、男女は恋愛しかないのか、そもそも恋愛とはなんなのかキスをすると恋愛なのか、体を重ねると恋愛なのか。逆に恋愛をしていない時に体を重ねるのは問題なのか

 

人にはその人毎の距離感と関係性が存在する、恋愛となると相手に気をつかい、普通に友達であった時以上に焦ったさを感じる人もいる、それでもその人が人として友としてそれ以上としても好意がありだから別に人間の3大欲求の一つをその人で解消する事になんら問題があるとは思えない

 

このブログを読んだ人の中には不信感や嫌悪感を感じる人がいるかもしれない、しかしどんな関係も多種多様で良いと思う。

 

少なくとも私はそんな人が良い

病気とそうでない境界

精神的な病は身体的病と違い目に見えるものではない

確かに、露骨に公共の交通機関に乗っていて、この人はと思う人はいる。しかし通常街中を歩く上ですれ違った程度ではわからない。

 

ところで、精神的な病は何を線引きとして(この人は病気)(この人は病気じゃない)等とするのか

病院に行って診断をされたらなのか、では本人が自覚なく病院に行ってない場合はどうなのか。

 

私は様々な人と関わる中で、この人は少し心が病気だなと思う人も、わがまま言ってるだけだなと思う人も見てきたが非常に難しいだろう、私自身の精神的な状態によって捉え方も変わってしまい、偏りが生まれたりする。

 

では逆に病気・病気でないになんの違いがあるのだろうか。無論その人自身が生活に支障をきたさないレベルの人で考えよう

 

特に大きな違いはないのだ、強いて言うなれば、自分自身が相手を受け止める時病気だから仕方ないと思うか、この人なんでこう言う言動になるのだろう?と疑問を感じるかの違いだろう。

 

世の中多種多様な人がいる中で、病気に近い人もいる、純粋に性格が悪く言動が腐っている人もいる、しかし逆を返せば生まれた時は皆同じだその中で性格が腐る人はその人の人生でそこまで捻じ曲げる何かがあったのだろう、言わばそこまでの性格にした場合ある種その人の心はもう病に落ちているのかもしれない。

 

その様に考えた時病気と病気でない人の境界線は存在しない、しかし受ける側の捉え方は重要だ、病気だと断定し且つ距離をとった場合その人は尚孤独になり悪化の一途を辿るだろう。

 

重要な事は病気の人にも性格があり、病気でない人にも性格はある、その全てをその人とし受け入れる姿勢が重要だ、しかしながら絶妙な距離感も求められる。

会社に対しての呆れ

滑稽な会社は世の中腐るほどある

昔働いていた会社の上司が言っていた、『上司が嫌いなら辞めた方が良い』と。

その言葉は未だに頭に残っている、確かにその通りで上司は少なくとも自分より物事を知り判断ができる、何かある時に頼る相手になる。そんな人が嫌いなら本当に辞めた方が良いと思う。

 

時に私が今働いている会社は程度の低い幼稚園レベルの事を常にやっている。会社内の対人関係について片方の意見しか聞かず、その上で良い悪いの話をしている。

 

小学校や中学校で子供が喧嘩した際に、片方だけの話を聞く教員又は親がいるだろうか。必ず双方の話を聞き、何が問題なのか、何が悪く何が良いのかを明確化するだろう。でないと子供はそこの何が良く、自分の行動の何が悪いのかが分からないまま成長する。結果同じ事を繰り返すのだ。

 

そんなレベルの事、小学生でもわかる事が私の会社の役員ですら理解ができてないのだ。そんな会社の成長はたかがしれている。そんな会社の将来などたかがしれている。

 

怒ったり悲しんだりする次元を通りこし、純粋に呆れる

 

そのレベルの会社で働く上で重要な事は、自分の目標の為に必要な期間取れる分だけの報酬をいただき、目標を確立できる時点で退職するに尽きる

 

その内部で話している阿呆の相手はする必要も無く、そんな相手をしていては阿呆が感染るだけなのだ。

 

老害とは良い言葉だ、正しく私の会社の上の人間はこれに属するだろう。

性的欲求と対人的欲求

性的欲求は人間の3大欲求がある限り存在する。

性欲が強い人間は、異性に対しての反応が無い人間に比べて過敏になる、それを異常とするものがいるが、太ってる人が飯を沢山食べるのと至って変わらない事だ。

 

ジャイアンが大量に飯を食っても、食べた傍からお腹空いたと言っても驚かないだろう。何故か太っていてよく食べる事が見て分かるからだ。

 

要は人間は物事の認識を先ずは視覚から入るのだ。

 

性的欲求はパッと見て分からないだろう、男性の場合は勃起した状態でそれを露出していれば取り分け一発で分かるが、それが分かると認識する前に社会的な厳罰を受けるのが関の山だ。女性に至ってはよっぽどでない限り分からないだろう。

 

人間は、目に見えないその人物の部位箇所を自分の都合で創造する。

現代の社会でコロナが蔓延してから、マスクの着用が当たり前になり初見で会った人間の見た目を良く見える現象を誰しもが経験しただろう、しかしマスクを外して絶望する事も時にあったと思う。これは上記の現象が招いた結果だ。

 

性的な分野においては、その人のイメージ、外見、性格から勝手なイメージを空想で作り出す。その為その人の性的価値観を知りそれが自分のイメージと違った時驚いたり幻滅したり、時に良いという判定に切り替わる。

 

それが性的価値観の相違だ。

 

ところで、性的欲求が強い人が人肌が恋しくなったりするだろう、彼女がいない人は彼女を欲し、彼氏がいない人も同様になる傾向はある。

さて、性的欲求と対人的欲求は誰しも同義なんだろうか。

これは私の価値観だが、私は性的欲求は比較的強いだろう、一日に数回は自身での行為に走る。しかし異性に対し性的事を求める事は無い。面倒、怠い、嫌いという感情が先に来る。それでも対人を人肌を求める。

多分だが、そのような人は大なり小なりいるのではないだろうか。

 

人を愛する事と性的欲求のバランスは極めて難しいだろう。

 

 

こんばんは、こんにちは、おはようございますはあまり無いよね(笑)

と、まーこんな感じでクソほど適当に人間の性と(SEX)闇になる事を(愚痴)ひたすら書いていきます。

 

Twitterで書けない長文を書いているだけです。

 

時間があって、心が病んで腐っている(笑)方は読んで下さい。

 

あまり読むと心が病みますから、健全な方は見ない方が良いと思います。

 

私は、30歳男性の独身です。

 

多分色々この先読んでいただける方がいた時に、思う事あると思いますが、コメントしていただいて構いません。(する気が生まれたら)

 

では、今回は初投稿になるのでこの辺で。