歴史捉え方
歴史とは何かしらの事物が時間的に変遷したありさま、あるいはそれに関する文章や記録のことをいう。 参照wiki
歴史と聞いて普通に想像するのは遥か昔の出来事、自分が生まれる前の事や数世紀前の事だろう、しかし歴史の捉え方は様々だ
有名な人物は歴史に名を刻む、しかしそれはその人が成した事がとりわけ称賛に値する又は忘れてはならない負の記録であるが故にそのような歴史が刻まれる
では、何の変化もない一人の人間には歴史は無いのだろうか?
答えはNOだと言わざるをえない、少なくともその人が生きた歴史が存在しないならもはやその人が生きた証すらもありえない
では何かをしないと歴史にはならないのか?
普通に生まれ、(ここでの普通とは一般常識的範疇を指す)普通に育ち、学び、職に就き、家庭を持ち、生涯を終える。この人生において上記の質問をYESと答えるなら、この生き方をする人間は生きた証すら残らない。
過去の古い歴史を顧みた際に、根拠が全ての歴史に刻まれてはいない。
それを正と見るかは、その歴史を信じるかどうかだ、これについては様々な解釈や捉え方が存在する、例えば一つの歴史を拝見した際に、それに明確な根拠と証明が書面や物的な物で存在しない限りそれが正しい事で信じるに値するとは言い切れないだろう
人類が誕生してから20万年が経つ現在において、すべての歴史が正確な記録がされる事はない、その全てを一部の書面だけを又は伝承においてのみ信じるのは極めて無理がある
では、現在生きている人間が過去にした事を聞いた際にそれは信じないという事になるだろうか?
答えはNOだろう、一部の噓つきは除き・・・・
何故なら、目の前にいる人がそれを経験し自分が想像できる語りで教えてくれるからだ
この違いは何なのだろうか?
目に見えるものが確信的に信用できる事を指すだろう
人間は自分の今目の前で起きている事を、語られる事が一番率直に理解でき習得ができるその特性は良し悪しだ
これを考えた際に自分類が残したすべての歴史は全てが本当なのだろう、経緯こそ間違っている事は多々あるかもしれないが、その一つ一つの歴史を書き記した者が見、聞き記したのだろう、そしてその人はそれを信じたから歴史になったのだ
歴史とはある意味でそれを記録したごく一部の記録なのだ